言葉を取り戻せ

暑い。

脚本/演出の仲保樹です。


まず初めに訂正します。

前回の僕の記事についてですが、「可愛い」とほざ……言いやがったのは、「いちごミルク」「いちごパフェ」を同時に頼んだことについてだそうです。

なぜそうなったかと言うと、コーヒーが飲めないからです。



しまった。いちごといちごでいちごが被ってしまった。



さて。

今日は#誰が為チャレンジの解説をしようかなと思ったのですが、解説するほど難しいこと書いてないし、むしろ書いてある通りなので、解説やめます。

「わかんねーよタコ」「わかりたいんだよバカ」という方はツイッターとかラインで私に聞いてください。

ブログにコメントしてもらってもいいですよ。


「思い出も言葉も消えてしまえばいいと思った」は、歌詞の引用です。

amazarashiの『独白』というポエトリーリーディングです。

私がこれを初めて聴いたのは、4月末に行われた『未来になれなかった全ての夜に』というライブです。(DVD化はよ)

このライブの前の『新言語秩序』というライブのための曲ではあるんですけど。

このライブ、『独白』『未来になれなかったあの夜に』(音源化はよ)というラスト二曲だったんですが、もう、ボッコボコに泣きました。泣くのを堪えて尚泣きました。

関係ないですね。


そのライブの中で、「色々あったでは済まされない色々を詳らかにするために歌いに来ました」というMCがありました。

色々あったでは済まされない色々を詳らかにするために、言葉にならない言葉を謳うために、きっと芸術は存在しているんだろうと思います。

私の場合はそうでした。


私の創作は自己表現でした。

ただのエゴと言われればそれまでの、内的な私的言語の言語化。「私自身が手を下し息絶えた言葉」を破れかぶれに書き起こしてしまった物語。でも僕だって誰かの心に響くような言葉が使いたい。美しくなくたっていい。自己への投企。言葉。言いたいこと、言えないこと。言わなかったこと。

『独白』『未来になれなかったあの夜に』がそんな思考の基だったので、言葉書きを自称する私は言葉を殺そうとしたのです。

……それはまた別のお話。


それでも何とかこの作品を作ろうとしています。

それは役者・スタッフの皆んなが居るから出来ることなのです。



ならば、「誰が為に演る?」

僕の言葉は僕だけの為だったとしても、

「演劇」という行為それ自体は……。




ということで、買え。

(仲保樹)

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