夏の終わりに終わるもの

8月はもう終わります。
9月になればあれやこれやと言っている間に本番がやって来て、ああだこうだと言っている間にその本番すら終わります。

時が移ろうのは早いものです。
終わりに近づくものもあれば、始まりに近づくものもあり、かと思えば始まり終わりという二元的なものではあり得ないものまで。
考えなければいけないことは増えていくばかりです。

8月の終わりは夏の終わりでしょうか。
花火や夏祭りは終わってしまったのでしょうか。蝉は今も鳴いているでしょうか。クーラーを消すのはいつになるでしょうか。
夏の匂いが夏の終わる匂いへと変わっていくその刹那の感傷を、言葉に書き留めておくことはできるでしょうか。

やがて夏は終わります。
いつかの末広公園には涼風が吹いていました。
昼食、平穏な空気は逆説的に今になって荒波を想起させます。平和の中で平和が染み渡ることはないのでしょう……食べ終われば終わります。

終わらせようとしなくても終わるときがあります。終わらせたくなくても終わらせてしまわなければならないときだってあります。
始まりがあれば終わりがあります。出会いがあれば別れがあり、生があれば死があります。
終わることを恐れてはいません。
ですが終わらないものに泣いたりしません。
「終わりがあるから」という美学はありませんが、終わりにこそ輝こうとするのは人間の性なのかもしれません。
輝きとは、きっと美しくなくてもいいのでしょう、不細工で不恰好な終わりでも、その輝きを愛してくれる誰かがいるのです。

また、終わりが怖いのは、やって来る始まりが怖いのは、時間を愛していたからです、そう思います。
費やしてきた時間が、魂が、言葉が、選択が、思い出せないほど綺麗でありふれた光景があったからです。時間とはそういうものの集合であり、それを愛していたのです。
それは自己愛としてではなく、心を砕き時間を捧げるという意味です。
頑張っている人はきっとそんな感じです。
私は、そんな人を心から尊敬し、また愛しています。
だからこそ私は終わりを愛するのです。
この辺りは前作からのテーマでもあります。今作にもこの思想は零れていますので、舞台上に落とされる言葉をよく聴いていてください。

さて、5月に始まったこの稽古期間も、やがて終わります。本番だって、たったの45分間。3回打てばもう終わりです。
終わりから逃げることはできません。長い長い僕らの夏は9月の終わりに終わります。
舞台上に行けば、僕らではない僕らが、全身全霊の言葉の言霊を吐き出していきますが、今の僕らが言えることとは、「観に来てください」というたった一言に尽きるのです。

言葉とは、きっとそこまで儚いものなのです。
——先は長いが終わりは早い
焦りはじめてからが始まりだ
その先の事は僕も知らない
言いたい事はこれで全部——
(悲しみ一つも残さないで/amazarashi)

(仲保樹)

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